2015年1月18日日曜日

皇紀二六七五年 東ジャワ日本人会(EJJC)新年会

そーか、そーかもうアレから弐拾年も経つのだ。あの震災当時、私は東京に居たのだ。結婚したばかりであった。
女房殿は当座の御金を用意し職場に立ち寄り仕事柄必要な物資をカバンに詰め込んで其のまま神戸に単身乗り込んで行った。
私は会社から居残り組みに命じられた。
関西出身の同僚は暫くして現地支社へ必要物資と共に乗り込んだ。・・・
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図面と共に現地偵察をしていた彼は「助けて下さい。」と声をかけられた。
か弱き女性の声にいてもたっても居られなかった彼は上司に上申し、無償で予定外の給排水復旧工事一式を仲間と一晩でやってのけた。会社の管理下にあった湯沸かし器も取り付けてお風呂も使えるようにしたそーな。
その女性だけでなく、新鮮な水を貰いに来たご近所の人達も貰い湯が出来て大変喜んでいたらしい。女性からは落ち着いたら必ず又寄って欲しいと言われたそーな。
同僚は東京に戻っても、暫くは私達にその自慢話をしていたなぁ。
お礼にと受け取った手書き無料券を結局使わずに大切に財布に保管していたなぁ。泡ランドの券な。
同僚は一体何処の現場をウロツイて居たんだ?
そして四週間ほどしてから女房殿は帰って来た。
被災地で偶然声をかけられて、臨時に出来た救護介護所に住んでいたらしい。
若い衆を数名付けられてのVIP待遇だったらしい。
救護介護所の場所が、チョびっとだけ反社会的勢力団体の本丸だったらしいけど。
一民間人が出来る事はそんなもんかもね。《全部実話》

で、阪神淡路大震災から弐拾年経った日、スラバヤの亜米利加系ホテルMercure Grand Mirama Surabaya Hotel に於いて東ジャワ日本人会(EJJC)新年会が開かれたのであった。
痛風潜水隊は酒類カウンターすぐそばの立食用丸テーブル(直径約60cm)一基を早速に占拠し基地とした。其処に隊員が集ったのであった。
どうみても全員分のグラスが行き渡らない乾杯をし、各隊員が替り番に持ち込む料理を飲み込み、イカレたスピーカーに顔を顰めつつ、暫しの堅気の世界に酔うのであった。
ビキニの御嬢さんね。写真はHPより無断拝借
痛風潜水隊は今回も協賛品として体験ダイビングの無料券を用意していた。
会場では司会の方が「痛風潜水隊より、体験ダイビングの無料チケットが出ています。」とアナウンスがあった。実は焦った。我々が体験ダイビングを行うのではない。
凄く真面目なダイビングを指導している
BLUE PARADISE DIVING
の女性(独身)が行うのだ。
詳しくは
http://www.blueparadise-in.com/about-us/aboutbpi
今回も無理矢理彼女を拝み倒して供出の運びとなったのだよ。
新年会の最後に希望者でのジャンケン大会となったのであった。
ヒョットして希望者が居なかったらドーするべ?と言う不安が無茶苦茶過ぎった。
その場合は我々がサクラになってジャンケンするべ。と言う覚悟もあった。
しかし、写真で数えるだけで30名以上の方々が手を挙げてくれたのだ。
皆さん、ダイビングに興味があったんですな!と素直に感心するのであった。
弩S第一書記シャマは「無料だからだよ。」と冷静な御言葉を吐いて水割りを舐めるのであったよ。
冷静な分析・・・流石は元将軍シャマだ。
そして、在スラバヤ日本国領事館より恩寵のビンタンビール大瓶1ダース箱を抽選会で得る事が出来てニンマリなのであった。

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