2015年7月20日月曜日

祝!丸メロ軍曹改めイチヂカン中尉殿出所栄転潜水作戦 しょの壱の前置き

オヂちゃんは~バカだからぁ~
 平和安全法制が、どーして集団的自衛権とか増してや徴兵制だの戦争法案とかに結び付くのかシャッパリ解んない。
オヂちゃんは~荒ぶるバカだからぁ~
 内閣官房のHPで直接法案の概要とか要綱とか落としたですよ。
一杯有ったんでプリントアウトしてワンコの娘と一緒に寝っ転がって読んだですよ。ほんま、この点でインターネットとパソコンに感謝や。一昔やったら海外からはそんなん読めないもん。
至極マトモな事しか書かれていないですな。ってか、物足りないっすな。
安倍自民党も此の法案を公約で正々堂々掲げて当選したんやからチャッチャと法案を通しちゃいなよ。
この法案に反対な論調側で、デタラメなイメージ戦略を張るマスコミ・政党と雰囲気で騒ぐ連中は、オヂちゃん以上にオバカなのが解ったですね。
ついでに、なんか不安だからって理由で反対のデモをしているSEALDsって若者も現物を読めば不安が無くなるのに・・・こいつら「まじ、頭おかしいやん」元は勘違い日本共産党やからね。
若者はおとなしくLINEで個人データとかを垂れ流されたり、課金ゲームで時間と金を失っていれば良いのに・・・。
法案とか読まずに雰囲気だけで喚いても許されるのは、劇団民主党とマスコミだけだじょぅ。


 丸メロ軍曹の名前の由来はこうだ。
六年前、隊員7名・作戦車両2台でのテレテス山岳陸戦訓練の帰途であった。
当時スラバヤ赴任中の丸メロ軍曹は、私の操る日本産輸入車の助手席に当たり前の様にふてぶてしく座っていた。
ステレオからはジプシーキングが流れていた。
彼らの曲を初めて聴いた丸メロ軍曹は非常に上機嫌であった。
健康な奴の内臓の動きの様なリズムに乗っていた。
時には膝を叩き、時には手を打ち、体を上下させていた。
その内に掛け声の様な、合いの手の様な、彼女オリジナルの声紋を迸らせていた。
幼い頃にピアノを弾いていたと言う彼女は、テレテスのソッチ系の精霊が乗り移り白目を剥かんばかりのノリノリな表情でデタラメなラテン語を吼え始めた。
「Yeah!~◎ンコぉマルメェロォ~Ah!~チ◎コぉマルメェロォ~」
ハンドルを握る私は一瞬ではあるが思わず自らの股間を確認した。
特に意識して丸まっている感覚はなかった・・・。
何処を如何聞けばそーゆーフレーズになるのかサッパリ判らんが。
嫁入り前の娘にしては思いっきりの激しいフレーズであった。
以降丸メロ軍曹を拝命したのであった。

 年は流れ、丸メロ軍曹はジャカルタに転勤(栄転?)した。
そしてこの度、国家存亡の課題を解決すべく本国への帰国指令を受けたのだった。
実は彼女、外務次官や内閣官房との間に太いパイプを持っているのだ。
昨今丸メロ軍曹より「いい加減に潜水隊内でも昇進させろ。」との要求が強まったのだ。
彼女の本職での階級は、他国と比較するに中尉クラスであるらしい。
そんな訳で一気に中尉昇格となったのだ。メデタシ。
そして彼女が初めてインドネシア中南部に赴任したばかりの頃。
一刻を争う重病に冒された時、救急病院でお世話になったのがイチジク干潮であった。
実に単純なイチヂカン中尉誕生秘話なのだ。
危篤の病は数分で完治した。
そして彼女の持っている太いパイプは未だ何処にも全くつながってはいないのだ。

 作戦決行前、スラバヤ以外の東ジャワの各空港やバリ、ロンボクの空港がMt. Raungの噴火によって封鎖されていた。
私が仕事中であれば「ウケケ!ざまぁ」と天に感謝したかも知れんね。
だが、本作戦の主人公、丸メロ軍曹改めイチジヂカン中尉殿は現在の赴任地ジャカルタから飛行機でやってくるのだ。
“仕事は適当、遊びは真剣”がモットーの私ですら気を揉んでいた。嗚呼!おっきい乳揉みてぇ。

 あっけなくイチヂカン中尉殿が座上した飛行機は飛び、しれッと再開したバリ島ン・グラライ空港に着陸した。
今作戦の行程では、バリ島に先行した私がSanurで中尉をピックアップ。その後斬込隊長とR姐の潜むヴィラで待ち合わせ。
その後にTulambenへ向かう予定だ。

 私はヴィラでR姐さんがこしらえてくれた軽食に舌鼓を打つ。
イチヂカン中尉は、斬込隊長に頼んで日本から持ち込んでもらったINON純正グリップベースにシューベース、アダプター、ライトホルダーを取り付け・・・
実際にはカメラハウジングを握ったまま静止状態しておる。
そうですね、六角レンチとか何の事やらサッパリ判っていないもんね。
レゴブロックなら目を輝かせ喜んで組み立てたかも知れぬが、中尉にはチョット高度過ぎやね。
已む無く、私と斬込隊長でカメラハウジングにライトが装着されたのであった。

その間、イチヂカン中尉は「仁義なき戦いの主演はぁ・・・・・・竹内カタナ!」等と意味不明な雄叫びを挙げていただけであった。

 諸事情により、私とイチヂカン中尉がTulembenに先行する事となった。
道は空いていて気持ち良い。
車内では自称関西生まれ・東京育ち(実際には市川とか松戸らしい・そのくせディズニーランドは浦和とホザいた事実)のイチヂカン中尉より、
実践関西弁講座が開かれていた。
「ほんまの関西弁はフナバでっせ。」
ふなば・フナバ・FUNABA・・・

『FUNABAで19時』
センタービルで19時
あのひと とひそかに待ち合わせ
だれもしらない 嗚呼~FU・NA・BA
心斎橋で尋ねても
淀屋橋で尋ねても
誰も答えない
そんな大阪世間の冷たさも
あのひとと逢える センタービル
待ち続ける 嗚呼~FU・NA・BA
あのひと は来ない
とーこーしーえーにー(合唱)
〈by カスラック〉

 ふぅ、即興で演歌を歌ってやったわぃ。
大学受験の時、都営三田線・白金台駅を探して神田駅傍の交番で「Hakkin-dai St.」を尋ねた私も人の事を言えぬがの。
あん時ぁ、田舎の予備校講師もHakkin-daiで弾けて来い!って言ったんじゃぅ。

Tulamben のいつもの宿にヒトゴーマルマル着。
マネージャーのワヤンは空港閉鎖のあおりでキャンセル続出で浮かない顔。

さぁやっと本編。続け!

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