ボクは大きくなったらCHOで働いてぇ、偉くなってぇ、志那から一杯お金をぅ、もらってぇ、引退したいですぅ。
で、関西での新婚旅行を堪能したJin&Zao 夫婦から少々強行的なお誘いが来たんだわ。
「Candidasa のVilla を既に手配した。チミの部屋も既に支払い済みだ。後は機材を持ってやって来るのだ。」
ゆーとくけどねー、私には節操なんてもんは無い。
12月21日夜から27日一杯の日程よ。
当然参加することにしたんさ。
12月21日の夜に彼らはBali の空港に着いた。
コレを打ち込んでいる今となっては既に過去のお話。
ん・ぐららい空港は空前絶後の大混雑なのさ。
彼らは入管・預け荷物受け取り・荷物検査で120分を失ったのだったね。ってか、立ちっ放しの2時間な。
Zaoさんのお母さんはBali が初めて。
予定では何処かで夕食を摂るはずが、日付が変わる頃にチェックインだぜ~。
で、潜りまくり、食べまくり、呑みまくりの日々が続いたんだわさ。
しかし、潮の関係もあってBlueLagoon界隈をよくもまぁ飽きずに潜ったものである。
最終日近くにはアノMimpang やTepekon にも行ったわさ。
冷え冷えの24℃とかで。
Mingpang は素敵やった。ワイドレンズ無しじゃツマランほどに素敵やった。
マクロはソコソコやけどワイドになると焦点すら合わせられず、しかも撮影自体が出来ない私のオリンパスのコンデジよ。
私は気付いたね。どんな光景も本来ならば自らの目玉でもって記憶するべきだったのに、
いつの間にか写真が撮れないとなると見る興味すら失っている愚かな私自身に。
そう、オリンパスのコンデジに制圧されている私のか弱く貧弱な意志っつーか、脳みそになっていたのな。
今度は思い切ってワイドレンズも買うかな・・・。
ってか、ワイドレンズって言葉までは理解すっけど、カメラ自体に興味のない私にはその先のコンバータとかもうね、何言っているのか判らんわ。
そして、この冷たい海水でも平気なJin 君達のウェットスーツにも興味を惹かれた。
2019年はHele Iwaho のハズレウェットスーツを3つも買ってしまった。いくら安物とは言え、せめて10本位の潜水には使えて欲しかった。
最後のHele Iwaho のスーツ(公称3mm)は買った時からどう見ても物理的に1.5mm の潰れ切った奴だった。体を冷やしたいならお勧めしてやんよ。
シャークスキン買うならコレを買えとJin君も勧めてくれた。
で、Mingpang がどれ程素敵だったのか。
いつもの内陸側の傾斜を、用心の為にカレントフックを握ったまま緩やかに進む。
シャークが沢山舞っていた。
私が先行して外洋側へ回ったら・・・ありゃりゃ、潮止まりの時刻に潮が荒ぶってんじゃん!
私の後ろのアンドレアちゃんは私について来る。
その後ろのJun&Zao夫婦は・・・サーモクラインで見えねぇな。
吐く息がマイクロバブル状に変化して我が身を包む。って、ダウンカレントじゃん。
仕方がない。浮上のサインをアンドレアちゃんに送る。
後は、ダイコンを見ながらフィンをやや斜め上方に蹴る。
この時の私の両手はクソ忙しい。もう二本くらいレンタルしたい程だ。
ダイコンを見ながらダイブシグナルフロートを取り出す。
う~みゅ。私のフロートにつながる工事現場用ヘルメットのあご紐テープは7.5mに設定してある。
っつー事は、7m迄は緩やかに浮上したいやん。
でもね、未だ15mの深度で降下を促す流れに逆らわねばならんやん。しかも、浮上速度を守ってな。
ま、それでも誰かが真っ先に正常に浮上してフロートを射つ必要があるわな。
それが、皆への目印となり灯台となるんだもの。
あご紐テープを用いたのは浮上後の回収がロープや紐よりも楽なのよ。ややこしく縺れないのよ。
で、フロート射出。アンドレアも一緒に安全停止後に浮上したのさ。
ボートでJun&Zao夫婦を待つ。機材を下ろし一服を始めた所でJin 君のフロートが上がってきた。
ほう、Mingpang 外洋側に突き出た岩礁の近くやな。
あんな処迄移動しての射出ですか。と感心していた。
3分が経ち5分が経ち、それでもフロートの動きに変化が無い。
未だエアの残っているタンクを背負うか。と考え始めた頃に、フロートの位置とは明後日の方向でJin 君達が浮上して手を振っている。
?なのである。
Jin 君の話ではダウンカレントの引摺り込みの力にフロートを繋ぐ糸が切れたらしい。
あな恐ろしや。ってか、糸が弱過ぎね?
そんなこんなの一週間を過ごし、最後のダイビングを終えてCandidasa を出たのが昼過ぎ。
道路は、既に懐かしい大渋滞であった。
しかも、彼らの寝床は薬物汚染激しいエリア。
Sanur で私が車を降りる迄に既に4時間が経過。
彼らはその後スミニャック迄3.5時間を要したのでしたわぃ。
運転手さん、商売とは言え・・・死んだな。
Wikipedia より。
12月8日、中華人民共和国の湖北省武漢市の保健機関により、原因不明の肺炎患者が初めて報告された。
12月30日、原因不明の肺炎について記載された公文書を勤務先の病院で発見した李文亮がWeChatに画像として投稿した[52]。2020年1月7日、原因が新種のコロナウイルスと特定され[53]。
12月31日 - 世界保健機関(WHO)への最初の報告が行われた。
で、関西での新婚旅行を堪能したJin&Zao 夫婦から少々強行的なお誘いが来たんだわ。
「Candidasa のVilla を既に手配した。チミの部屋も既に支払い済みだ。後は機材を持ってやって来るのだ。」
ゆーとくけどねー、私には節操なんてもんは無い。
12月21日夜から27日一杯の日程よ。
当然参加することにしたんさ。
12月21日の夜に彼らはBali の空港に着いた。
コレを打ち込んでいる今となっては既に過去のお話。
ん・ぐららい空港は空前絶後の大混雑なのさ。
彼らは入管・預け荷物受け取り・荷物検査で120分を失ったのだったね。ってか、立ちっ放しの2時間な。
Zaoさんのお母さんはBali が初めて。
予定では何処かで夕食を摂るはずが、日付が変わる頃にチェックインだぜ~。
で、潜りまくり、食べまくり、呑みまくりの日々が続いたんだわさ。
しかし、潮の関係もあってBlueLagoon界隈をよくもまぁ飽きずに潜ったものである。
最終日近くにはアノMimpang やTepekon にも行ったわさ。
冷え冷えの24℃とかで。
Mingpang は素敵やった。ワイドレンズ無しじゃツマランほどに素敵やった。
マクロはソコソコやけどワイドになると焦点すら合わせられず、しかも撮影自体が出来ない私のオリンパスのコンデジよ。
私は気付いたね。どんな光景も本来ならば自らの目玉でもって記憶するべきだったのに、
いつの間にか写真が撮れないとなると見る興味すら失っている愚かな私自身に。
そう、オリンパスのコンデジに制圧されている私のか弱く貧弱な意志っつーか、脳みそになっていたのな。
今度は思い切ってワイドレンズも買うかな・・・。
ってか、ワイドレンズって言葉までは理解すっけど、カメラ自体に興味のない私にはその先のコンバータとかもうね、何言っているのか判らんわ。
そして、この冷たい海水でも平気なJin 君達のウェットスーツにも興味を惹かれた。
2019年はHele Iwaho のハズレウェットスーツを3つも買ってしまった。いくら安物とは言え、せめて10本位の潜水には使えて欲しかった。
最後のHele Iwaho のスーツ(公称3mm)は買った時からどう見ても物理的に1.5mm の潰れ切った奴だった。体を冷やしたいならお勧めしてやんよ。
シャークスキン買うならコレを買えとJin君も勧めてくれた。
で、Mingpang がどれ程素敵だったのか。
いつもの内陸側の傾斜を、用心の為にカレントフックを握ったまま緩やかに進む。
シャークが沢山舞っていた。
私が先行して外洋側へ回ったら・・・ありゃりゃ、潮止まりの時刻に潮が荒ぶってんじゃん!
私の後ろのアンドレアちゃんは私について来る。
その後ろのJun&Zao夫婦は・・・サーモクラインで見えねぇな。
吐く息がマイクロバブル状に変化して我が身を包む。って、ダウンカレントじゃん。
仕方がない。浮上のサインをアンドレアちゃんに送る。
後は、ダイコンを見ながらフィンをやや斜め上方に蹴る。
この時の私の両手はクソ忙しい。もう二本くらいレンタルしたい程だ。
ダイコンを見ながらダイブシグナルフロートを取り出す。
う~みゅ。私のフロートにつながる工事現場用ヘルメットのあご紐テープは7.5mに設定してある。
っつー事は、7m迄は緩やかに浮上したいやん。
でもね、未だ15mの深度で降下を促す流れに逆らわねばならんやん。しかも、浮上速度を守ってな。
ま、それでも誰かが真っ先に正常に浮上してフロートを射つ必要があるわな。
それが、皆への目印となり灯台となるんだもの。
あご紐テープを用いたのは浮上後の回収がロープや紐よりも楽なのよ。ややこしく縺れないのよ。
で、フロート射出。アンドレアも一緒に安全停止後に浮上したのさ。
ボートでJun&Zao夫婦を待つ。機材を下ろし一服を始めた所でJin 君のフロートが上がってきた。
ほう、Mingpang 外洋側に突き出た岩礁の近くやな。
あんな処迄移動しての射出ですか。と感心していた。
3分が経ち5分が経ち、それでもフロートの動きに変化が無い。
未だエアの残っているタンクを背負うか。と考え始めた頃に、フロートの位置とは明後日の方向でJin 君達が浮上して手を振っている。
?なのである。
Jin 君の話ではダウンカレントの引摺り込みの力にフロートを繋ぐ糸が切れたらしい。
あな恐ろしや。ってか、糸が弱過ぎね?
そんなこんなの一週間を過ごし、最後のダイビングを終えてCandidasa を出たのが昼過ぎ。
道路は、既に懐かしい大渋滞であった。
しかも、彼らの寝床は薬物汚染激しいエリア。
Sanur で私が車を降りる迄に既に4時間が経過。
彼らはその後スミニャック迄3.5時間を要したのでしたわぃ。
運転手さん、商売とは言え・・・死んだな。
Wikipedia より。
12月8日、中華人民共和国の湖北省武漢市の保健機関により、原因不明の肺炎患者が初めて報告された。
12月30日、原因不明の肺炎について記載された公文書を勤務先の病院で発見した李文亮がWeChatに画像として投稿した[52]。2020年1月7日、原因が新種のコロナウイルスと特定され[53]。
12月31日 - 世界保健機関(WHO)への最初の報告が行われた。
Someday we should payback ! Now Clench, Endure and Survive.
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