2020年3月30日月曜日

新嘉坡結婚式作戦

 ふぅむ。諸般の事情で誰が読むのか読まないのかサッパリ判らんブログをサボっていて4ヶ月以上か…。
夏休みの宿題を8月31日に全部やっつける気分で書いてくかね。
しかしまぁ、インドネシアも中途半端な鎖国しちゃったしな。
日本に帰国ならシンガポール経由以外は考えられないしな。
そのシンガポールも今じゃ入れないしな。
そんな訳で時間は在る。
武漢Virus、2FVirusが落ち着いたら世界は変わるかね。
日本は・・・相変わらずか、ドツボにハマって”100年遅れてやって来た笑顔の列強国”支那の下僕になってるかもね。
今後WHO をチホー(CHO)と呼んでも良いよね。


 Tナカオ・レ隊員と潜って2週間も経たずに私は単身スラバヤからシンガポールに向かったのだった。

豚骨ラーメンは絶対だな
そんで、ワンコのオヤツを買うよな。

シンガポーリアン隊員Jin君の結婚式に招待されたのだ。
シンガポールの結婚式はインドネシア、ジャワやバリと違うのだろうか?
式場はカールトンホテルである。


流石に安物サンダルって訳には行かんやろ。
かと言って日本式にキッチリと礼服って訳にも・・・。
ご祝儀はどーすっかねぇ。
新婚旅行は関西って事だから、日本円で日本式にしておくかねぇ。
ネットで調べまくりであった。
 まぁ、結婚式にお呼ばれって名目でシンガポールの美味いものを食べるのも楽しみやんか。
結局、男性であれば襟付きシャツにスラックスで革靴が無難であった。
私も某高田純次がオーダーしたシャツの予備服を着て出席した。
このシャツは某テーラーさんから貰った奴ね。
 式場まで歩くのはシンドい。雨が降っても嫌やん。
最近はズーとクラークキー近辺に泊まっていたが式場の近場で宿をとった。
このホテルに泊まるのは20年ぶりだった。
勿論改装されて設備も良くなっていた。
ビックリしたのは当時ホテルの下足番っつーか、何でも屋さん的な存在だったオジサンが私の事を憶えていた事だ。んで、私も憶えていて驚いたよ。今ではコンシェルジェになっていた。オッサンは私の煙草の銘柄迄憶えていたんだ。そんで、久しぶりの再開ついでに宿も安くしてくれたよ。次回も来たら同じ値段で良いよ。とも言ってくれたよ。まぁ、数十日後には又やって来たんだが。



式場のJin君は何か南米の独裁者風の服装だった。
この辺はシンガポールのトラディショナルなんか?知らんけど。
披露宴ではタキシードであった。
奥さんのZaoさんは色んなドレスであった。
やって来ていた新郎友人は、スーツあり、襟付きシャツありと自由なのであった。
一番驚いたのは新婦Zaoさんの友人の女性たちであった。
グッチ?シャネル?皆さんブランド物のドレスなのである。
何か、背中とか尻の寸前まで丸出しなんよ。
オッパイがこぼれんじゃねーか!?とコッチが要らぬ心配をしてしまうのだった。
シンガポールってお国柄なのか多分高価な本物であろう。
ココ・シャネルのドレスとか初めて間近で拝んじゃったよ。
ココ・シャネルと言えば、ハエ除け卓上傘が主流のインドネシアとは大違いであった。
 ケーキカットとかのセレモニーは日本と同じであった。
そんで、本物のモルト・ウィスキーをガンガン飲む。
新郎新婦も各テーブルを回って乾杯しまくる。
この乾杯のスタイルが素敵だ!
皆でグラスを合わせて「うぉぉぉぉ~うぇぇぇぇぇ」っと肺活量の限界まで声を出し合う。そんで一気飲みだ。
本物のドレスに本物の酒だ。


来場者の3割が欧米人であった。
「男にとって結婚は人生の墓場行きだよな。」
アングロサクソン♂共と頷きあったのであった。グヒヒ!
Jin 君、Zao さん、お幸せに!

Wikipedia より。
2019年11月
11月17日、湖北省出身の55歳の男が新型コロナウイルスの最初の症例であった可能性が中国のデータから発覚しているが、中国当局はデータを公開しなかったとサウスチャイナ・モーニング・ポストが報じている

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